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熊本地方裁判所宮地支部 昭和41年(ワ)88号 判決 1967年4月28日

原告 迫悦子 外五名

被告 迫幸七

主文

(一)、被告は、原告迫悦子・迫昌子・迫十四光・迫加代子・迫真城男・迫征子に対し、それぞれ金一五、〇〇〇円とこれに対する昭和四一年一一月六日から支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。

(二)、原告等のその余の請求を棄却する。

(三)、訴訟費用は、これを四分し、その一を被告の負担とし、その余を原告等の負担とする。

申  立

原告等の求めた裁判

(一)、被告は、原告等に対し、それぞれ金七〇、六四二円とこれに対する昭和四一年一一月六日から支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。

(二)、訴訟費用は、被告の負担とする。

被告の求めた裁判

(一)、原告等の請求をいずれも棄却する。

(二)、訴訟費用は、原告等の負担とする。

主  張

原告等の請求原因

(一)、被告は、原告等の父である亡迫東二に対して金一五〇万円の債権を有しているという理由で、昭和三四年一〇月一三日原告等六名を相手方として金一五〇万円の支払請求の訴訟を熊本地方裁判所に提起した(熊本地方裁判所昭和三四年(ワ)第五三〇号貸金請求事件)。

(二)、右の事件については、昭和三七年五月一八日、熊本地方裁判所において請求棄却の判決が言渡されたところ、被告は、福岡高等裁判所に控訴して争つたが、昭和四〇年五月二六日控訴棄却の判決言渡があり、更に最高裁判所に上告したものの、上告理由書提出期間内に理由書の提出がないため上告却下となり、結局前訴は、本件原告等の勝訴によつて確定した。

(三)、迫東二としては、被告に対して何等の債務も負担していなかつたものであるにも拘らず、前訴において、被告は、「迫東二は被告に対して金一五〇万円の債務を負担していたものである。」ことを強調し、自ら、金一五〇万円の迫東二作成名義の借用証書を偽造した上、これを書証として公判に提出したり、自らも、その主張に副うような虚偽の供述をしたり、その他自巳の有利に訴訟を導こうとあらゆる手段を弄して訴訟活動を行つたものであるから、この被告のした前訴の提起並びに訴訟の遂行は、故意に基く、そうでないとしても少くとも重大な過失に基く不当訴訟として、原告等に対する不法行為を構成する。

(四)、このため、原告等は、共同して次のとおりの支出をしたものであり、この支出は、被告の前記不当な訴訟によつて蒙つた原告等の物質的損害である。

(1)、昭和三五年四月三〇日金一万円-着手手数料として松田軍平弁護士に支払つた。

(2)、昭和三七年六月二日金三五、〇〇〇円-前訴第一審の勝訴による成功報酬金五万円の内金として松田弁護士に支払つた。

(3)、同月六日金一五、〇〇〇円-右(2) の成功報酬の残金として松田弁護士に支払つた。

(4)、同月二五日金一万円-右前訴の控訴事件の着手手数料金二万円の内金として松田弁護士に支払つた。

(5)、同年八月二八日金三、四〇八円-右控訴審における弁護士の福岡出張旅費日当一回分として金五、五〇〇円を松田弁護士に支払つたが、訴訟費用額確定決定によつて一回分金二、〇九二円の支払を受けたので、その差額金。

(6)、昭和三八年七月一日金三、四〇八円-右と同じ。

(7)、同年一二月三一日金三、四〇八円-(5) と同じ。

(8)、昭和三九年五月二五日金三、四〇八円-(5) と同じ。

(9)、同年九月七日金三、四〇八円-(5) と同じ。

(10)、昭和四〇年一月四日金三、四〇八円-(5) と同じ。

(11)、同年四月五日金三、四〇八円-(5) と同じ。

(12)、同年六月二一日金一万円-前記(4) の着手手数料の残金として松田弁護士に支払つた。

(13)、同年七月二日金二万円-前訴の控訴審における勝訴に基く成功報酬として松田弁護士に支払つた。

合計金一二三、八五六円。

(五)、被告の不当な前訴の提起遂行により、原告等としては、昭和三四年から昭和四〇年まで約六年という長い間、百以上にのぼる莫大な書証や、三十数人という多数の証人の応接対策等に振り廻され、その精神的な苦痛は筆舌に尽せぬものがあつたものであるから、被告は、不法行為者として、原告等の精神的苦痛を慰藉すべきものであり、その慰藉料の額は一人あたり金五万円を相当とする。

(六)、よつて、原告等は、本訴において、それぞれ物質的損害一人あたり金二〇、六四二円(円未満切捨)と精神的損害一人あたり金五万円の計金七〇、六四二円とこれに対する訴状送達の翌日である昭和四一年一一月六日から支払ずみまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。

被告の答弁

(一)、原告等主張の請求原因第(一)項の事実は認める。

(二)、同第(二)項の事実も認める。

(三)、同第(三)項の事実は否認する。

もと、被告の実父迫西男は、一の宮町に土地建物を所有していたが、それが何時の間にか迫西男の実弟迫東二の所有名義に移転登記がされていた。その間の事情を全然知らなかつた被告は、軍隊から復員した後、その建物に居住し、多額の費用を投じて修理改築等を行つたので、迫東二にその費用の償還を求めたところ、同人は、それを承諾し、金一五〇万円の借用証を被告に差し入れたものであり、この借用証は、迫東二か、平真城村(現菊池郡大津町)の役場吏員に代筆させた上、自己の常用している印鑑を押捺して真正に作成された書類である。

従つて、被告としては、迫東二に対して真実金一五〇万円の債権を有していたものであるが、迫東二が死亡したので、相続人である原告等に対してその金一五〇万円の支払を求めるため前訴を提起したものであつて、前訴の提起並びにその追行は、被告の正当適法な権利の行使であつて、何等不法行為を構成するものではない。唯、前訴は、被告の立証不充分によつて被告の敗訴となるに至つたに過ぎないのである。

(四)、同第(四)項中、訴訟費用額確定決定によつて弁護士の福岡までの旅費日当として一回金二、〇九二円の七回分の支払をしたことは認めるが、その余の事実は、全部否認する。

(五)、同第(五)項中、前訴が昭和三四年から昭和四〇年まで約六年間争われ、百以上の書証が提出され、三十数人の証人の取調が行われたことは認めるが、その余の事実は否認する。

(六)、同第(六)項は争う。

元来弁護士に支払うべき手数料ないし謝金の類は、民事訴訟費用法にいう費用の中に含まれておらないものであり、法が訴訟費用の範囲を限定したのは、国家が憲法において国民に裁判を受ける権利を保障し、国民が容易に私権の行使ができるように配慮した結果である。従つて、訴の提起ないしその追行が不法行為を構成する場合はともかく、一般の場合には、訴の提起やその追行によつて相手方に損害が発生しても、費用法の定める範囲を超過する部分については、訴提起者に賠償責任の発生するいわれがない。前訴においては、被告のした訴訟行為が何等不法行為を構成しないものであることは前述のとおりであり、原告等の本件請求は失当たるを免れない。

被告の抗弁

(一)、仮りに、被告に不法行為に基く賠償責任があつたとしても、不当訴訟に基く損害賠償請求権の消滅時効の起算日は、訴提起の時と解すべきところ、本件訴の提起は、昭和三四年一〇月一三日であるから、本件損害賠償請求権は、全額時効によつて消滅したものである。

(二)、若し、時効の起算日が現実に金を支出し、ないし、手数料の支払契約をした時からであるとすれば、原告等の本訴の提起は、昭和四一年一〇月二〇日であるから、原告等の請求原因第(四)項(1) ないし(6) 及び(12)の賠償請求権は、三年の時効によつて消滅した。

原告の答弁

被告主張の抗弁事実は、いずれも否認する。

不当訴訟に基く損害賠償請求権の消滅時効の起算点は、当該訴訟の終了確定をした時であると解すべきところ、原被告間の前訴は、昭和四〇年の秋確定終了したものであるから、未だ消滅時効は完成していない。

証  拠 <省略>

判  断

被告が、原告等の父である亡迫東二に対して金一五〇万円の債権を有しているという理由で、昭和三四年一〇月一三日原告等六名を相手方として金一五〇万円の支払請求の訴訟を熊本地方裁判所に提起した(同庁昭和三四年(ワ)第五三〇号貸金請求事件)こと、この事件については、昭和三七年五月一八日熊本地方裁判所において請求棄却の判決言渡があり、被告は、福岡高等裁判所に控訴して争つたが、昭和四〇年五月二六日控訴棄却の判決が言渡されたので、被告が更に最高裁判所に上告したけれども、上告理由書提出期間内に理由書の提出がないという理由で上告却下となり、結局、この訴訟は、本件原告等の勝訴によつて確定したことは、当事者間に争いがない。

原告等は、「前訴の提起ならびにその遂行は、被告の原告等に対する不法行為を構成する。」と主張するので先ずこの点について検討する。

成立に争いのない甲第一四号証の三ないし七、第一五・一六・一七号証によれば、前訴において一番の争点となつたのは、迫東二名義の金一五〇万円の借用書(本訴における甲第一四号証の三前訴における甲第一号証)が果して真正に成立したかどうかであつた。第一審の熊本地方裁判所も控訴審の福岡高等裁判所も、平真城村の吏員であつた藤原一士が迫東二に代つて借用証中の迫東二の住所氏名を記入し、右藤原一士か或いは迫東二が、その名下に、迫東二において日頃使用していた印鑑を押捺したこと、その書面が何等かの理由によつて被告の手に渡つていること、迫東二の住所氏名以外の部分を被告が記入したことまでは認定したけれども、当該書面が何故被告の手中にあつたのか、積極的に、被告が迫東二の記名押印を利用して偽造したものであるかどうかという点についてまでは認定していない。又、被告の供述やその他被告に有利に証言した証人の証言が、信用することはできないと判断されているけれども、それが虚偽の供述であり偽証であるとの認定もしておらない。そうして、「甲第一号証(借用書)の成立の真否について少からず疑問を生ずるが、この疑問は本件全立証によつても未だ解決されないのであつて、かくて署名押印の真正は認定できても、甲第一号証の成立の真正なことについての推定は覆されるのである。」と結論するのである。

結局のところ、原告等の全立証によつても、借用証を被告が偽造し、その借用証を証拠に不当に前訴を提起した上、被告自ら虚偽の供述をしたり、証人に自己に有利に偽証をさせたりしたものであると、積極的な認定をすることができないから、当裁判所としては、前訴が被告の不当訴訟として原告等に対する不法行為を構成するものとはいうことができない。

元来、権利を有しない原告が、自已に権利のないことを充分知つておりながら、或いは又、当然知るべきであるにも拘らず過失によつて権利のないことを知らないで、訴を提起して敗訴した場合には、その訴の提起ならびに追行は、相手方に対するいわゆる「不当訴訟」として不法行為を構成し、これによつて発生した相手方の損害は、物質的な損害はもとより、場合によつては精神的な損害も、合理的な範囲に属するものに関する限り、一切これを賠償すべき義務のあることは多言を要しないし、たとえ、勝訴した場合でも、それがいわゆる判決の詐取等と見られるものである限り、やはり、不法行為を構成し、相手方について生じた損害を賠償すべきものであることには変りがないものというべきである。

同様に、自己に債務のあることを知つており、或いは、通常人として考慮すれば当然知るべきであるにも拘らず、過失によつてこれを知らないでいて、権利者の要求に応じなかつたために、訴訟を提起された被告が敗訴した場合には、これ又、権利者に対するいわゆる不当応訴として不法行為を構成し、前段と同様に損害賠償の責に任ずべきものであると解するのが担当である。

このことは、基本となる訴訟が不法行為に基く損害賠償請求の訴訟であれ、債務不履行に基く賠償請求事件であれ、或いは又、金銭債務の履行請求ないし登記請求であれ、その他あらゆる種類の訴訟についてであれ、凡てあてはまるものであり、いやしくも、訴の提起ないし応訴が不法行為を構成するものである以上、一切の訴訟について、本権とは無関係の、不法行為による損害賠償請求権の発生を見るものである。そして、その損害の範囲の中には、当該訴訟において訴訟代理をした弁護士に支払つた手数料・謝金その他の実費等が当然に包含されるものであるというべきであつて、不当訴訟ないし不当応訴に基く弁護士費用の賠償請求は、全て不法行為訴訟の一類型として取り扱うのが相当である。

更に進んで、不当訴訟ないし不当応訴が成立しない場合でも、勝訴者は、自己が弁護士に支払つた費用等の償還を敗訴者に請求できないものであろうか。現在日本における取扱いは、その請求を否定するが、当裁判所は、その見解に対して大きな疑問を有する。

我が国においては、弁護士強制主義を採用していないけれども、地方裁判所以上では、弁護士でなければ訴訟代理人となることができない。しかも訴訟の実際は、争の殆んどないような簡単な事件の場合ならいざ知らず、少し込み入つた複雑な事件になると、当事者本人が誰の手もかりずに、自己の主張や抗弁を法律的に理由のあるように整理したり、或いは相手方の主張に対して適切な答弁をして反論したりすることは勿論、必要な証拠書類を提出し、重要な証人の申請をしてその証人尋問を行う等、自ら訴訟活動を追行して行くことは、殆んど不可能のことに属する。従つて、今では、大多数の者が、法律専問家である弁護士に依頼して訴訟活動をやつて貰うのを通例とする。そうして殆んど例外なく相当額の手数料や報酬を自己の依頼した弁護士に支払う。例えば、金一〇〇万円の債権を有する者が債務者に対して履行を請求してもその支払がないと金一〇〇万円の支払請求の訴を提起しなければ、その債権の満足を得ることができないから、やむを得ず、債権者は、弁護士に依頼して訴訟を起す。そして、依頼する時に着手手数料として相当額の金を払い、勝訴すると又弁護士に対して成功報酬を支払うので、合計すると金二〇万円前後又はそれ以上の費用を支出する、債権者が強制執行によつて金一〇〇万円の支払を受けても、先に金二〇万円の弁護士費用を支出している場合には、結局、金一〇〇万円の債権の内金八〇万円の満足を得るに過ぎない。若し、弁護士費用を訴訟費用として、訴訟費用額確定決定によつて債務者から償還を求め得るものとすれば、債権者は自己の債権の一〇〇パーセントの満足を得ることができるけれども、前述のように、現在の日本における実務の取扱が、弁護士費用を訴訟費用として認めておらないため、結局のところ、債権者は、八〇パーセントの満足で引き下がらざるを得なくなるのである。このことは、極端な言い方をすれば、裁判による正義の減額に外ならない。反面、訴訟に勝つた被告は、原告が理由のない訴訟を起したというだけの理由で、常に、弁護士に支払つた費用そつくりの損害を受けなければならないという結果になり、これ又、裁判による不正義の押し売りと言つても過言ではない。

我が国においては、訴訟の場合の弁護士費用というものが、既に、必要費に転化してしまつているといえる段階に来ていることは、前述のとおりである。訴訟狂のような例外は別として、好きで訴訟をやつている者は殆んどあるまい。債務者が義務を履行してくれないから訴を提起するのであり、原告が無理な訴を起したからやむなく応訴しているのが、普通である。そして、自分の懐から無理してでも弁護士に払うべき金を支出しているのである。その貴重な金は、訴訟に勝つても訴訟費用の中に入つていないから、敗けた相手方から取り立てることはできない、ドブに捨てたと思つてあきらめろと言うのでは、素朴な国民感情からして、到底納得できない屁理窟と映ずるのではあるまいか。実際に訴訟をするのは、法律家ではなく一般の民衆であるにおいてをやである。弁護士に依頼して訴訟をし、訴訟物の価額以上の費用を投ずるもののあることは枚挙にいとまがない。従つて、民衆は、裁判をして勝つても、弁護士費用の帰つて来ないことを十分知り尽している。それで、「裁判だけはいたしません。」と言つて紛争が起きても事件を裁判所に持つて行つて解決しようとは考えない。弁護士費用と比較して、確定決定で裁判所の認める訴訟費用の額は、極めて僅少なものであつて、大きな弁護士費用の償還の認められないため、小さな訴訟費用の償還の方もあきらめてしまう。これが我が国で、費用額確定決定の申立の少い一つの理由でもあろう。訴訟に勝つても弁護士費用の回収ができないということは、却つて、正当な権利の行使を躊躇させ、裁判所において適正な裁判を受ける権利即ち訴訟をすることが圧殺される方向に作用して行く。若し、勝つた場合弁護士費用も相手方から回収できるようになれば正当な権利者は、争つて裁判所の門を叩くであろうし、勝訴して権利の一〇〇パーセントの満足を得ることもできることとなる。又、反面では、義務を有する者が理由のない不履行をすることも少なくなろうし、敗訴者が濫りに上訴したりして訴訟を遅延させるという幣害も減少するという効果も期待することができよう。

又一方、裁判所が、弁論能力を欠く者の陳述を禁止して弁護士の附添を命じた場合には、その弁護士費用は訴訟費用として償還を求めることができ、又、訴訟救助を受けた者が勝訴すると、その弁護士費用も訴訟費用として償還を受けることができることになつているのである。右の弁護士の附添ないし訴訟救助は、元来その附添ないし救助を受けた者のみの家庭の事情であつて、その相手方とは全然無関係な事柄である。にも拘らず、法は、附添ないし救助の場合の弁護士費用を、敗訴した相手方の負担とすべきものと規定している。これと普通の場合とを対比したとき附添や救助以外の場合には弁護士費用は敗訴者でなく勝訴者の負担であるとすることは、明らかに権衡を失する。我が民事訴訟法の基本的な理念は、附添や救助の場合に限らず、一般的に、訴訟費用は弁護士費用を含めて相当の範囲内に属するものは、全部敗訴者に負担させる趣旨のものであると理解すべきではあるまいか。商法上の、株主による代表訴訟の場合における弁護士費用償還請求権も又、その理念の一つの表われであると見ることが可能である。

なる程、敗訴となつたのか、稀には訴訟活動の不手際による場合もないでもないが、それは不手際な訴訟をした者の責任であつて、その訴訟代理人の選任ないし訴訟活動が当を得なかつたことに起因するとも言えると共に、それ以上に、判決の確定によつて権利ないし法律関係の存在不存在も確定した以上、爾後、法律的には訴訟活動がまずかつたということ自体言々すべきものではないのである。訴訟というものは、本来敗者の危険負担において進行して行くものであり、その危険負担は、当然に相手方の弁護士費用についても生ずるものといわなければならない。論者、或いは、弁護士費用を敗訴者の負担とするときは、弁護士費用の償還を受けるために次の訴訟を必要とし、その尽きるところを知らなくなると主張するけれども、当該訴訟で、その訴訟で支出しないし支出すべき弁護士費用の請求をすることを否定していない我が民事訴訟法上は、本来の請求と共に、併せて弁護士費用の賠償も求められるのであるから、弁護士費用を回収するため次から次へと訴訟を誘発するという危惧は、単なる一個の杞憂に過ぎないものといわなければならない。

以上のように、民事訴訟法第八九条、第一二三条、第一三五条、商法第二六八条ノ二、民事訴訟費用法第一条第一五条等からすれば、(或いは、弁護士費用は既に必要費に転化しているので、それは、権利の伸張又は防禦に必要なものであつて、民事訴訟費用法第一五条にいう「本法に定めないその他の必要な費用である。」ということもできよう。とすれば、弁護士費用についても、訴訟費用として確定決定で回収を求め得る余地がないでもないといえそうである。)明文の規定こそ存在しないけれども、弁護士費用というものは、勝訴者の負担すべきものではなく、須らく敗訴者の負担とすべきものであつて、それが民事訴訟の根本の理念に適合するものであり、それは、正義衡平の原則や信義誠実の原則ないしは条理の一適用に外ならないと言うことができる。

とすると、本件において、被告は、前訴で全部敗訴の判決を受けてこれが確定を見ているのであるから、原告等が自己の弁護士に支払つた弁護士費用を、原告等に支払うべきであるといわなければならない(尤も、本件訴訟は、不当訴訟を原因とする損害賠償請求訴訟ではあるけれども、結局は弁護士費用等の償還を求めるものであり、そのためには、前訴で原告等が勝訴したこと、その前訴で原告等が弁護士を依頼し、その費用を支払つた事実-以上が要件事実である。-を主張すれば足り、その法律的な判断の点については裁判所に委ねられているものというべきであるから、別に他の事実を付加主張する必要はないと認める。)。

証人高見ムツの証言並びにその証言によつて真正の成立の認められる甲第一ないし四号証、第一二・一三号証によれば、原告等は、前訴において松田弁護士を訴訟代理人に依頼して被告の提起した訴訟に応訴し、第一審の成功報酬として昭和三七年六月二日金三五、〇〇〇円及び同月五日金一五、〇〇〇円の計金五万円を支払い、その控訴事件の着手手数料として同月二五日金一万円及び昭和四〇年六月二一日金一万円の計金二万円を支払い、さらに、控訴事件の成功報酬として同年七月二日金二万円の支払をしたのでその合計は、金九万円に達すること、これらの金は、原告等が父親の遺産から出したものが大部分であつたが、不足する部分は兄弟姉妹全員で少しづつ出し合せたものであつて、どれだけが誰のものであるか分別できないものであつたこと、この外、松田弁護士は、第一審の着手手数料として金一万円を迫西男から受領しているけれども、これは原告等の金を支出したものではなく、迫西男が自分の金を支出したものであつたこと、が認められ、右認定に反する証拠はない。

前訴の訴訟物の価額が金一五〇万円であつたことは当事者間に争がないことは前述のとおりであるところ、松田弁護士の受領した右着手手数料ならびに成功報酬額は、日本弁護士連合会報酬等基準規程に照しても相当下廻る額であると認められる。勿論、裁判所が敗訴者に償還を命ずる際の弁護士費用の額は、実際に支払つた額(依頼人と弁護士は、自由にその額を協定できるのは勿論である。)に拘束されるものではなく、その支払額の範囲内において権利の伸張又は防禦に必要であつたと認定する相当の額であるというべきところ、当裁判所としても、原告等が松田弁護士に支払つた合計金九万円は、着手手数料ないし成功報酬としても相当額の範囲内のものであつて、これを全額、被告に償還を命ずべきであるというべく(迫西男の支払つた金一万円は、原告等について生じた損害ではないから、これを被告から原告等に対して償還させる訳にはいかない。)、原告等一人あたりにすれば、その償還額は金一五、〇〇〇円となること計算上明らかである。

ところで、右のように、弁護士に支払うべき着手手数料や成功報酬等については、その償還請求ができるものと解するのが相当であるが、問題は出張旅費や日当の賠償まで求められるかである。

口頭弁論期日や、検証等の証拠調期日に弁護士が出頭した場合、その旅費並びに日当は、現在においても、一定の限度額で訴訟費用として承認し、敗訴者から、訴訟費用額確定決定によつてその償還を求め得ることとなつている。しかしながら、裁判所で認める旅費日当の額は、実際に当事者から支払われる額よりも相当低くなつているのが通例であるから、当然にその間に差額を生ずる。本件においては、証人高見ムツの証言並びにその証言によつて真正の成立の認められる甲第五ないし一一号証によれば、前訴の控訴審の口頭弁論期日に出席するため、松田弁護士が七回福岡に出張し、一回あたり金五、五〇〇円の旅費日当を原告等から受領していることが認められる(この認定に反する証拠は何もない。)ところ、原告等は、訴訟費用額確定決定によつて、被告より一回あたり金二、〇九二円の支払を受けていることは当事者間に争いがないから、一回あたりの差額金三、四〇八円の七回分の計金二三、八五六円については、その回収を受けていないこととなる。

原告等は、本訴で右金二三、八五六円の賠償を求めている訳である。成る程、前訴が被告の不当訴訟であると断定できるならば、不法行為に基く相当の損害として、その賠償を求めることも可能であろうが、前判示のとおり、結局のところ前訴が不当訴訟であると認める証拠がない以上、不法行為に因る損害賠償請求としてはこれを否定せざるを得ない。従つて、訴訟費用額確定決定の額を超える弁護士の旅費日当を、前段で論じた弁護士の着手手数料や成功報酬と同様に、不法行為とは無関係に取り扱えるかという点にかかる。ところが、実務の取扱は、着手手数料や成功報酬は訴訟費用の中に含めていないけれども、弁護士の旅費日当は、訴訟費用の中に入れて確定決定でその償還を認めているのであるから、両者の間には、根本的な差違が見られる。しかも、弁護士(当事者)の旅費日当を一定限度で線を引いたのは、裁判所が、その決定した額が弁護士(当事者)の旅費日当として相当であると認定したことに外ならないこととなるのである。従つて、若し、その額が少額に過ぎるというのであれば、何等かの方法で、訴訟費月額確定決定の中でその額を増額すべきものであつて(現在の我が国における実務は、実費どころか、反対に、なるべく費用の額を少く押えようと試みる。)、その差額を敗訴者に対して別訴で請求することを許すべき筋合のものではないと解する(勿論、当事者と代理人となる弁護士の間で、旅費日当の額をどれ程に約束するかは、着手手数料や成功報酬の額を協定するのと同様に自由であるが、その協定した額全部ではなく、裁判所が相当と認める額の償還を受けられるのみであるというべきである。)。

とすると、原告等は、既に訴訟費用額確定決定によつて、松田弁護士の福岡出張の旅費日当の償還を受けているのは前判示のとおりであるから、本訴において、更に確定決定の額を超える部分についての賠償を求める部分は、失当として棄却を免れない。

そこで、次に慰藉料請求の点について検討する。

不当訴訟や不当応訴が不法行為を構成し、若し、相手方に損害の生じた時は、不当訴訟者ないし不当応訴者がこれを賠償すべきであることは前述のとおりであり、その損害は、物質的損害はもとより精神的損害を含むものであることも当然である。しかしながら、不当訴訟や不当応訴に該当しない場合にも精神的損害の賠償として慰藉料の請求を許すことは、相当でない。特に、何等の過失なくして自己の権利を行使するために訴を提起して敗訴し、或いは、やむを得ず自己を防衛するために応訴して敗訴した場合等を考慮すればなおさらである。このように訴の提起や応訴が不法行為を構成しない場合にも、敗訴者に勝訴者の精神的損害まで負担させるとすることは、国民の裁判所において裁判を受ける権利を剥奪するものであつて到底許容できないところであるといわなければならない。

本件において、前訴が被告の不当訴訟として不法行為を構成するとまでは認定できないものであることは、前述のとおりであるから、原告等の慰藉料請求の点も又、失当として棄却すべきものである。

そこで最後に、被告の時効の抗弁について判断する。

被告は、原告等の本件請求は、不法行為に基く賠償請求であるから、三年の時効によつて消滅し、その起算点は訴の提起時ないしは、手数料や報酬等について支払契約のなされた時と主張する。

成る程、不当訴訟や不当応訴に基く損害賠償請求権が不法行為に基く債権として三年の消滅時効の適用のあることは、その主張のとおりであるが、不当訴訟や不当応訴に基くものでない弁護士費用の償還請求が三年の時効で消滅するか一〇年の時効で消滅するか、それとも他の消滅時効の規定の適用があるかは、速断はできない。仮りに、三年の時効で消滅する(三年以下の消滅時効の適用はないと解する。)としても、その起算点は、当該訴訟の終了確定した日の翌日であると解すべきであり(不当訴訟や不当応訴を原因とする損害賠償の場合も同じ。)、本件においては、前訴の確定したのは昭和四〇年五月以降のことであつて見れば、原告等の支払つた弁護士の着手手数料成功報酬等の償還請求権は未だ時効によつて消滅しているものではないといわなければならないから、結局、被告の抗弁は、到底採用の限りではない。

以上の次第によつて、原告等の本訴請求は、一人あたり金一五、〇〇〇円とこれに対する訴状送達の日の翌日であること記録上明らかな昭和四一年一一月六日から支払ずみまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める部分は、正当として認容すべきであるが、その余は、失当として棄却すべきである。

よつて、訴訟費用の負担について民事訴訟法第八九条第九二条第九三条を適用して主文のとおり判決する。

(裁判官 吉永順作)

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